2021/2/8

理事長ブログ 21 麒麟は来たのか

ブログ 21 「麒麟 は来たのか?」

NHK大河ドラマの「麒麟がくる」が2月7日に最終回をむかえた。 何事にも始まりがあり、終わりが来るものである。 ドラマもしかりで、44回の連続ドラマが新型コロナの影響により、撮影中止を余儀なくされながら、再開し年をまたいで放映され且つ終了した。

私自身は歴史に興味はあるが、深い知識に乏しく、まさしく小中学レベルかと思うのだが、戦国時代を中心に描かれる物語は面白いものがある。 織田、豊臣、徳川の3人を中心に戦国諸大名が絡んでくるのが面白い。 今回は明智光秀が主人公という珍しいスポットライトの当て方である。 正直、事の真相が未だに不明の「敵は本能寺にあり」であるが、こうして光秀側に立ってみると、意外と戦を憎み平和を望んだ光秀の人間性が見えてくる。

今までは、光秀を救い重鎮としての場を与えてくれた、織田信長という主人を裏切ったあくどい武将というイメージだったからである。 勿論、家臣の前で罵倒され恥をさらされ、無理難題を押しつける主人に、謀反の心を抱くことは十分考えられるが、これは現代の企業の中でも多かれ少なかれ、事の大小はさておき行われていることではないのか。とは言え実行に移す事は無いのだが・・・。

サラリーマンたる企業戦士は、それでも歯を食いしばり夕方から酒を飲んで憂さを晴らし、そしてまた明日から頑張ると言う構図なのであった。 そこには平和というか平穏な日々がいつか訪れるという漠然とした、そう今回の題目である「麒麟」の出現を待っているのである。

光秀もそれを望んで自ら立ち上がり、刃をかざし主人を倒したが、残念ながら麒麟が現れる世の中にはならかったのである。 時代を今に移すと、新型コロナの脅威に世界中がさらされ、まさしく「麒麟」の出現を待ち望んでいるのだが、果たして麒麟は現れるのか? 答えは未だ見えてこない。

ドラマは光秀死後の世界にも光を当て,幻想的なシーンで最後を飾ったが、44回を全てTVの前で見終えた自身の感想は、良くできた大河ドラマであり、長谷川博己始め役者陣の好演が目立ったと言うのが感想である。 ドラマに麒麟は来なかったが、重厚感と軽快感、清涼感と充実感等を併せて視聴者に与えたことは、麒麟がきたのである。

余談だが、本ドラマでは途中まで撮り溜めた所で、某有名女優が麻薬取締まり法違反で逮捕され、取り直しが行われ、代役の帰蝶を25歳の川口春奈が、堂々たる演技を見せてくれて、信長の妻という大役をこなしていた。 ここにも、麒麟はきたと想う。